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文学のある風景(その2) 高見順「都に夜のある如く」上野不忍池

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 清水観音堂前から望む不忍池と弁天堂

 ・・・ 「私たちは本堂を出た。その本堂の前から、不忍池が一望に見おろせた。真直ぐ眼をおろしたところに、中島があり、それとこっちの岸をつなぐ天竜橋が直線に見える。元は、これと直線的に、中島と向こう岸をつなぐ観月橋というのがあって、私の学生時分は、玉置などと本郷から歩いて、その橋を渡って上野へ出たものだが、今は取払われて、七軒町の方へ出るのと、茅(かや)町の方へ出るのと、二つの道が池中につくられている。」・・・(高見順『都に夜のある如く」)

 「本堂」とは上野の清水観音堂のことである。

 清水観音堂は、寛永寺を開創した天海が京都清水寺を模して寛永八年(1632)に創建された。

上野公園内にあり不忍池を望む本堂正面の舞台造りは、江戸時代より広重などの浮世絵に描かれている。

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東京タワーのある風景(その3) 「勝鬨橋上の眺望」

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    隅田川にかかる勝鬨橋上の眺望

 勝鬨橋は、隅田川最下流の橋である。橋のたもとには、築地魚市場がある。

 晴海通りが通過する橋で画面右方向を少し行くと、通りに面して歌舞伎座、銀座三越、和光などがある。 

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清親・安治のある風景(その4) 安治「浅草東門跡」

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 雪の中に屹立する東京本願寺の大伽藍を描いた井上安治「浅草東門跡」。

 この建物は、文化3年(1806年)建立され大正12年の関東大震災で焼失した。
 その後鉄筋コンクリート造りの和風建築として再建されたが、昭和20年3月10日の大空襲で骨格を残して焼失、昭和35年再建され現在に至っている。

 東本願寺(ひがしほんがんじ)は、東京都台東区西浅草一丁目にある、浄土真宗東本願寺派の本山である。

 慶安4年(1651年)、東本願寺第12世教如が神田に江戸御坊光瑞寺を建立したのを始まりとし、その後、京都の東本願寺の掛所(別院)となった。1657年(明暦3年)、明暦の大火により焼失し、浅草に移転。浅草本願寺・浅草門跡と称されるようになり、21の支院と35の塔頭を抱え、境内は1万5000坪に及んだ。

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広重のある風景(その4) 名所江戸百景「深川万年橋」

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「鶴は千年,亀は万年」

 広重の名所江戸百景「深川万年橋」では万年橋の欄干と亀売りが手桶につるした亀が描かれている。そして欄干と手桶とで形作られた枠の間から隅田川と大名屋敷そして富士山が見える。

 万年橋は小名木川が隅田川にそそぐ河口に架かる橋で、その下流にあった永代橋の「永代」の向こうを張って「万年」橋とした。
 江戸時代、橋のたもとには芭蕉庵があった。

 永井荷風もこの辺を散歩している。
ーある日わたくしはいつもの如く中州の岸から清洲橋を渡りかけた時、向こうに見える万年橋のほとりには、かって芭蕉庵の古址と,柾柾木稲荷の社とが残っていたが、震災後はどうなったであろうと、ふと思出すがまま、これを訪ねてみたことがあった。・・・(永井荷風「深川の散歩」)

 現在は、左手近くに清洲橋が見えるが富士山は見えない。

 場所 都営地下鉄大江戸線「清澄公園駅」下車徒歩5分

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隅田川のある風景(その2) 「佃大橋の上」

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 「・・・散歩者は橋にかかれば自然、欄干に手を置く。長くて5分、短かくて5秒,背に声のかかるのを待つわけではないが、じっとあたりの気配を体で感じながら遠くを見、さうしてまた何することもなく手の平を欄干に辷(すべ)らせながら何処へともなく歩き出す。・・・」(富田均「東京徘徊」(橋)より)

 隅田川下流にかかる佃大橋の橋上での風景である。

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