池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 放生寺

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 戸塚の高田の馬場にも近い穴八幡(あなはちまん)神社の北側にある放生寺(ほうじょうじ)の門前町に「京屋清左衛門」」という薬種屋(やくしゅや)があって
「京屋の薬は、ほんによく効く」
と、このあたりでは評判がよいし、次郎助もこれまでに、何度も京屋の薬で風邪(かぜ)を癒(なお)したりしていたものだから、お順に腹痛の薬を買いに行かせたのも、この京屋へであった。
(鬼平犯科帳7「隠居金七百両」)

 放生寺(ほうじょうじ)は東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番である。
1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された。寺号が示す通り「放生会」(ほうじょうえ)で知られ、虫封じの利益(りやく)もあるとされる。
東京都新宿区西早稲田二丁目1番14号
早稲田通りと諏訪通りの交差点、交番の裏にある丘が穴八幡および放生寺の境内となる。
交通アクセス東京メトロ東西線早稲田駅より徒歩3分

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文学のある風景(その18) 御茶ノ水付近の神田川

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 神田川流れ流れていまはもう

 カルチェラタンを恋うことも無き

 (道浦母都子「無援の抒情)

 神田カルチェ・ラタン闘争は、1968年6月21日に社学同(社会主義学生同盟。共産主義者同盟の学生組織)が東京神田駿河台の学生街で起こした解放区闘争。

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坂のある風景(その5) 紅葉坂(谷中)

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紅葉坂は台東区谷中7丁目所在。
谷中霊園から 天王寺の脇を抜けて,JR日暮里駅西口に下る坂。狭い石段。フェンスの向こうはJRの線路

紅葉坂の由来
 坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。
 江戸後期の国学者,山崎美成(よししげ)は「金杉日記」に,「天王寺うら幸庵坂下,又三しま社のほとり秋色尤もふかし,林間に酒を煖む」と記している。
 この記事によると,幸庵坂 の名は江戸時代すでにあったことが知られる。

  平成十二年三月  台東区教育委員会

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文学のある風景(その18) 寛永寺坂

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 ・・・寛永寺坂の近代風に出来上がったのもこのころで、坂と橋とをかねてゆるやかに登りながら広々とカーブして、信越線、常磐線、何々線と数本の線路の通っている上を上野の山つづきの町へと渡っているのである。(佐多稲子「私の東京東京地図」)
 
 寛永寺坂は、 鶯谷駅前からJRの線路を寛永寺橋で越え、この橋から“台東区上野桜木二丁目”交差点付近までの言問通りが通る坂。

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その2) 聖坂

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 で・・・・彦十が外へ出て、梅原の伝七の後をつけて行くと、いつものように金杉方面へは向かわず、伝七は三田から聖坂(ひじりざか)をのぼり、左がわの功運寺(こううんじ)という大きな寺の境内へ入った。(鬼平犯科帳2「お雪の乳房」)

 聖坂(ひじりざか)は東京都港区三田四丁目にある坂。
 商人を兼ねた高野山の僧高野聖が開いた古代中世の通行路で、その宿所も同所に存在したためこの名称が付けられたとされる。

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文学のある風景(その18) 梅ひらく

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            亀戸天満宮

青空に触れし枝より梅ひらく (片山由美子) 

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坂のある風景(その5) 魚籃坂

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 魚籃(ぎょらん)坂は、東京都港区三田4丁目にある魚籃寺(ぎょらんじ)の前を通る坂道。
 坂の中腹に魚籃寺があるため名づけられた。

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文学のある風景(その18) 初観音人形焼

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     浅草寺仲見世の人形焼店

 初観音 人形焼を買う列 (滝  春一)

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鳥居のある風景(その2) 平河天満宮の銅製鳥居

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 平河天満宮は、千代田区平河町1-7-5にある神社。江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478)江戸の守護神として創祀、慶長12年(1607)二代将軍秀忠の命で当地に遷座したといわれている。東都七福神の一つである。

 この銅製鳥居については標識によると次のように解説されている。

 ーこの銅製鳥居は、高さ五メートルにおよぶ鳥居です。支柱にある銘文によれば、天保十五年(1844)十二月に、麹町周辺の人々によって建設・奉納されたものと思われます。千代田区内には現在沢山の特徴的な鳥居が建てられていますが、この銅製鳥居が、区内最古の鳥居です。(以下省略)(千代田区教育委員会)

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その2) 雑司ヶ谷鬼子母神

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 一月も終わろうとする或日の午後。長谷川辰蔵は四日ぶりに鬼子母神へ出かけて行った。・・・・(中略)
 雑司ヶ谷鬼子母神は法明寺(ほうみょうじ)の支院で、本尊の鬼子母神は求児・安産・幼児保育の「守護神」である。
 雑司ヶ谷は、当時、江戸市中の西郊・豊島(としま)郡・野方(のがた)領だ。
 ものの本に、
 「・・・・・常に参詣(さんけい)の人絶えず。よって門前の左右には貨食(りょうり)屋・茶店・軒をつらね、十月の御会式(おえしき)には、ことさら群衆絡繹(らくえき)として織るがごとし。風車(かざぐるま)、麦わら細工の獅子、水飴(みずあめ)をこの地の名産となす」
とある。(鬼平犯科帳7「隠居金七百両」)

 雑司ヶ谷鬼子母神は、法明寺(ほうみょうじ)の支院で、本尊の鬼子母神は求児・安産・幼児保育の「守護神」。
豊島区雑司ヶ谷3-15-20に所在、

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