池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 公春院

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「ふうむ…・・南新堀を、な・・・・・」
「それから日本橋をわたり、神田から上野へ、車坂をぬけて、下谷の通新町の公春院(こうしゅんいん)という寺の近くの、小じんまりとした家へ入りました。そこに住んでいることはたしかです」
平蔵は、こたえなかった。
(鬼平犯科帳7「泥鰌の和助始末」)

 満海山 公春院 千日寺 開山は天台宗の晏清満海大行者(寛永四年1627示寂)で、修験者の僧坊として建立され、延宝年間に当院三世円連社岳誉唯称上人梵冏和尚によって浄土宗に改宗された。
 以降、日光街道筋の下谷通新町公春院として現在に至る。

所在地 東京都荒川区南千住1丁目32−9

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文学のある風景(その19) 新宿御苑

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 新宿御苑で待合せるという菊子の電話を、信吾はあまり気に掛けなかったが、来てみると異様なことに思えた。
 芝生のなかにひときわ高い木があって、信吾はその木に惹かれて行った。
 その大樹を見上げて近づくうちに、、聳(そび)え立つ緑の品格と量感とが信吾に大きく伝わってきて、、自分と菊子との鬱悶(うつもん)を自然が洗ってくれる。「お父さまも生成なさいます。」でいいのだと考えた。
 それは百合の木だった。近づくと三本で一つの姿をつくっているのが知れた。花が百合にに、またチュウリップに似ているので、チュウリップ・ツリーともいうと、説明書きが立っていた。北アメリカ原産、成長が早く、この木の樹齢はおおよそ五十年、
 「ほう、これが五十年か。私より若いね。」と信吾はおどろいて見上げた。
 広い葉の枝が二人を抱き隠すようにひろがっていた。

                                  (川端康成「山の音」)

 新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園。
江戸時代には信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。

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坂のある風景(その5) 庾嶺(ゆれい)坂

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・・・すたすたと牛込(うしごめ)御門(ごもん)の方角へ歩いて行く。夜は更けていても星明かりがある。・・・武士の姿の隠れたのは、俗に幽霊坂(ゆうれいさか)(現・庾嶺坂)という坂へ出る町角、角は武家屋敷の土塀、それに沿って小走りに勢いよく道をまがった刹那、男はぎょっとして立たち竦すくんだ。・・・(大仏次郎の『照る日曇る日』)

庾(ゆ)嶺坂は、新宿区の神楽坂一丁目1と市谷船河原町1の間を、外堀通りから、若宮町の神楽坂若宮八幡神社へ向かって上る坂である。

坂下に立つ標識には、次のように書かれている。
庾(ゆ)嶺(れい)坂
江戸初期この坂あたりに多くの梅の木があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(『御府内備考』)。別名「行人坂」「唯念ゆうねん坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。

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文学のある風景(その19) 浅草観音堂のいらか

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観音のいらか見やりつ花の雲         
              

                松尾 芭蕉

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 重願寺

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その翌日・・・・・
松尾喜兵衛の遺体は、深川・猿江裏町の重願寺(じゅうがんじ)へほうむられた。
十八名の旧門人と共に、沢田小兵次は葬儀を立派にとりしきった。(鬼平犯科帳6「剣客」)

浄土宗寺院の重願寺は、、天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山。
江東区猿江1-11-15

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文学のある風景(その19) 浅草寺仲見世の扇店

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仲見世の日覆い浅き扇店

     (富安 風生)

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坂のある風景(その5) 浄瑠璃坂

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 浄瑠璃坂は、外堀通りから市谷砂土原町1丁目と2丁目の間を北西に上る坂道。

 「坂名の由来については、昔、この坂で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行を行ったから。近くに光円寺があり、その本尊の薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であるからなどの諸説がある。」(新宿区教育委員会設置標識)

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文学のある風景(その18) 萩原 朔太郎純情小曲集 桜

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            上野公園

桜のしたに人あまたつどひ居ぬ


なにをして遊ぶならむ。


われも桜の木の下に立ちてみたれども


わがこころはつめたくして


花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。


いとほしや


いま春の日のまひるどき


あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

 (萩原 朔太郎純情小曲集 桜)

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 放生寺

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 戸塚の高田の馬場にも近い穴八幡(あなはちまん)神社の北側にある放生寺(ほうじょうじ)の門前町に「京屋清左衛門」」という薬種屋(やくしゅや)があって
「京屋の薬は、ほんによく効く」
と、このあたりでは評判がよいし、次郎助もこれまでに、何度も京屋の薬で風邪(かぜ)を癒(なお)したりしていたものだから、お順に腹痛の薬を買いに行かせたのも、この京屋へであった。
(鬼平犯科帳7「隠居金七百両」)

 放生寺(ほうじょうじ)は東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番である。
1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された。寺号が示す通り「放生会」(ほうじょうえ)で知られ、虫封じの利益(りやく)もあるとされる。
東京都新宿区西早稲田二丁目1番14号
早稲田通りと諏訪通りの交差点、交番の裏にある丘が穴八幡および放生寺の境内となる。
交通アクセス東京メトロ東西線早稲田駅より徒歩3分

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文学のある風景(その18) 御茶ノ水付近の神田川

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 神田川流れ流れていまはもう

 カルチェラタンを恋うことも無き

 (道浦母都子「無援の抒情)

 神田カルチェ・ラタン闘争は、1968年6月21日に社学同(社会主義学生同盟。共産主義者同盟の学生組織)が東京神田駿河台の学生街で起こした解放区闘争。

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