池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 広尾の毘沙門天(天現寺)

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 翌朝も遅くなってから、帰途についた弥太郎は渋谷川に沿った道を毘沙門堂の門前へ出た。麻布もこのあたりになると全く郊外であって、渋谷川の南には目黒の田園地帯が一面にひろがっていた。
 広尾の毘沙門天は、天現寺の境内の一部にあり、川にかかる土橋のたもとにわら屋根の茶店が一つ、朝のうちから店を開いている。
(鬼平犯科帳7「泥鰌の和助始末」)

 天現寺は、小日向御箪笥町にあった普明寺の名跡を継ぐ形で、祥雲寺11世良堂和尚が開山となり、多聞山天現寺と号して享保4年(1719)に創建したと言われている。
 本 尊 毘沙門天
 所 在 東京都港区南麻布4-2-35東京メトロ日比谷線 広尾駅下車

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文学のある風景(その19) 初夏

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街の地平線に 灰色の雲が ある

私の まわりに 傷つきやすい

何かしら疲れた世界が ただよっている

明るく 陽ざしが憩んでいる・・・(中略)

しかし 屋根ばっかりの 街の

地平線に 灰色の雲が ふえてゆく

(立原道造 「初夏」)

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坂のある風景(その5) 逢坂(おうさか)

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 逢坂は新宿区市谷船河原町の日仏学院の脇を通る坂。坂下入口に脇に築土(つくど)神社がある。

【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになった。

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文学のある風景(その19) 牡丹

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          牡丹園の牡丹

牡丹を大きな水輪かと思ふ 

          田中裕明(ひろあき)

 牡丹園は、江東区牡丹町の古石場川親水公園内にある。

 アクセス
 ・東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町」徒歩約5分
 ・JR京葉線「越中島」徒歩約10分

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橋のある風景(その5) 江戸川の石切橋

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 改代町は牛込であるが、ここから遠くない。二人は江戸川の石切橋を渡って、改代町へ行き着くと、ここらは俗に四軒寺町と呼ばれて、四軒の寺のほかに、古着屋の多い町である。。(半七捕物帳五(かむろ蛇 五」

「江戸川の石切橋」は寛文年間(1661~73)の架橋。神田川に架かる。東京都文京区水道2丁目。

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 公春院

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「ふうむ…・・南新堀を、な・・・・・」
「それから日本橋をわたり、神田から上野へ、車坂をぬけて、下谷の通新町の公春院(こうしゅんいん)という寺の近くの、小じんまりとした家へ入りました。そこに住んでいることはたしかです」
平蔵は、こたえなかった。
(鬼平犯科帳7「泥鰌の和助始末」)

 満海山 公春院 千日寺 開山は天台宗の晏清満海大行者(寛永四年1627示寂)で、修験者の僧坊として建立され、延宝年間に当院三世円連社岳誉唯称上人梵冏和尚によって浄土宗に改宗された。
 以降、日光街道筋の下谷通新町公春院として現在に至る。

所在地 東京都荒川区南千住1丁目32−9

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文学のある風景(その19) 新宿御苑

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 新宿御苑で待合せるという菊子の電話を、信吾はあまり気に掛けなかったが、来てみると異様なことに思えた。
 芝生のなかにひときわ高い木があって、信吾はその木に惹かれて行った。
 その大樹を見上げて近づくうちに、、聳(そび)え立つ緑の品格と量感とが信吾に大きく伝わってきて、、自分と菊子との鬱悶(うつもん)を自然が洗ってくれる。「お父さまも生成なさいます。」でいいのだと考えた。
 それは百合の木だった。近づくと三本で一つの姿をつくっているのが知れた。花が百合にに、またチュウリップに似ているので、チュウリップ・ツリーともいうと、説明書きが立っていた。北アメリカ原産、成長が早く、この木の樹齢はおおよそ五十年、
 「ほう、これが五十年か。私より若いね。」と信吾はおどろいて見上げた。
 広い葉の枝が二人を抱き隠すようにひろがっていた。

                                  (川端康成「山の音」)

 新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園。
江戸時代には信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。

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坂のある風景(その5) 庾嶺(ゆれい)坂

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・・・すたすたと牛込(うしごめ)御門(ごもん)の方角へ歩いて行く。夜は更けていても星明かりがある。・・・武士の姿の隠れたのは、俗に幽霊坂(ゆうれいさか)(現・庾嶺坂)という坂へ出る町角、角は武家屋敷の土塀、それに沿って小走りに勢いよく道をまがった刹那、男はぎょっとして立たち竦すくんだ。・・・(大仏次郎の『照る日曇る日』)

庾(ゆ)嶺坂は、新宿区の神楽坂一丁目1と市谷船河原町1の間を、外堀通りから、若宮町の神楽坂若宮八幡神社へ向かって上る坂である。

坂下に立つ標識には、次のように書かれている。
庾(ゆ)嶺(れい)坂
江戸初期この坂あたりに多くの梅の木があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(『御府内備考』)。別名「行人坂」「唯念ゆうねん坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。

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文学のある風景(その19) 浅草観音堂のいらか

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観音のいらか見やりつ花の雲         
              

                松尾 芭蕉

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 重願寺

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その翌日・・・・・
松尾喜兵衛の遺体は、深川・猿江裏町の重願寺(じゅうがんじ)へほうむられた。
十八名の旧門人と共に、沢田小兵次は葬儀を立派にとりしきった。(鬼平犯科帳6「剣客」)

浄土宗寺院の重願寺は、、天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山。
江東区猿江1-11-15

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