広重のある風景(その5) 名所江戸百景「井の頭の池弁天の社」

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    井の頭池と弁天堂

 広重の名所江戸百景「井の頭の池弁天の社」を訪ねて井の頭公園にある井の頭池に出かけた。

 井の頭池は涸れることのない豊かな湧水で知られ、徳川家康は江戸城内の飲料水として、井の頭池から流れ出す神田川を改修して神田上水とすることを命じた。
 神田上水は江戸市中にも給水され,井の頭池は行楽に好適の景勝地として名所にもなっていた。

 JR吉祥寺駅から徒歩10分。現在も井の頭公園は、東京都民の行楽の地として親しまれている。
 特に春の桜の頃と、秋の紅葉の頃がいい。

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荷風の風景(その3) 葛西橋からの眺望

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 「・・・橋上に立ちて暮烟蒼茫たる空のはずれに小名木川辺の瓦斯タンク塔の如く、工場の煙突遠く乱立するさまを望めば、亦一種悲壮の思あり」(永井荷風 「断腸亭日乗昭和六年十二月二日」)

 荒川(放水路)にかかる葛西橋上からの眺望。

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橋のある風景(その2) 万世橋

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              万世橋

 万世橋は万代橋(よろずばし)ともいわれ、江戸三十六見附の1つであった筋違見附を取壊した時出た石材を利用して明治6年に造られた東京最初の石橋で、須田町より下谷への通路として神田川に架けられた。
 当時の位置は、現在の万世橋と昌平橋の間にあった。この橋には2つのアーチがあり、その半円形が川面に眼鏡のように映るところから「めがね橋」とも呼ばれ、錦絵にも描かれるなど、東京名所として評判になった。

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  歌川国輝(2代)東京名所之内「石築万世橋盛景」

 2代歌川国輝(1830~1874)の「東京名所之内石築万世橋盛景」は、出来たばかりの当時の万世橋の賑わいの風景を描いた錦絵である。
 国輝は、鉄道錦絵をはじめとする開化絵を多く手がけ、その作品は資料的にも高く評価されている。

 明治36年(1903年)、新しい万世橋が現在の位置に架けられ、旧万世橋は「元万世橋」と名を変え、1906年(明治39年)に撤去された。新万世橋は、昭和5年(1930年)に架け替えられ現在の石およびコンクリート製のアーチ橋」となった。

 明治45年万世橋のたもとに中央線の始発駅として万世橋駅が開業した。しかし,大正8年3月,万世橋・東京間が  開通し,万世橋は中央線の始発駅でなくなる。昭和11年,駅は廃止され,東京駅の北側に建っていた鉄道博物館がこの地に移転した。昭和21年交通博物館と改名される。その交通博物館も平成18年5月閉館となった。

 しかし赤煉瓦の建物は、現在も残っている。

 現在では秋葉原電気街の玄関口となっており当時と同様の賑わいを見せている。

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文学のある風景(その3) 木下杢太郎「浅草公園」

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         金龍山浅草寺眺望

   ・・・・・見よ、直下にはさらに一個の鬱然たる小さき樹立の間に、弄具の如く赤く、細に造られたる堂屋と五重の塔とがある。彼こそはさきに予等が仰ぎ見たりし観音堂とその塔ではないか。・・・・(木下杢太郎「浅草公園」)

 詩人木下杢太郎が、東京における高層建築物の先駆けで浅草のランドマークでもあった浅草の凌雲閣 (りょううんかく)(浅草十二階)の展望室から眺めた一節である。

 浅草凌雲閣 (浅草十二階)

Ryoun21_3  凌雲閣 (りょううんかく)(浅草十二階)、開業日:1890年(明治23年)11月11日
 建物の中は、8階までは世界各国の物販店で、それより上層階は展望室であった。展望室からは東京界隈はもとより、関八州の 山々まで見渡すことができた。1923年(大正12年)に発生した関東大震災により、建物の8階部分より上が崩壊し解体された。

 現代の吾妻橋金龍山遠望は、墨田区役所14階にある展望ロビーから眺めたものである。
  
 正面左ロッテの赤い看板のそばに五重塔が顔をのぞかせている。その右手に浅草寺本堂の屋根がわずかに見える。

  しかし現在は墨田区役所の展望室は廃止され使用することが出来なくなっている。

 

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東京タワーのある風景(その4) 二重橋付近

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 二重橋前、二重橋濠越しの眺望。東京タワーがわずかに見える。

 東京の観光名所二重橋は、相変わらず観光客で賑わっていた。

 太平洋戦争前だったら、こんなところで写真を撮っていたら、警官が来て「おいこら」と怒られていただろうなと思ったりした。

 民主主義は良いですね。

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広重のある風景(その5) 江戸名所之内「永代橋佃沖漁舟」

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 広重の描いた浮世絵に江戸名所之内「永代橋佃沖漁舟」がある。

 月の輝く夜の永代橋と佃島、沖合いに白魚漁の漁火が明滅する風景である。
 
 -にょっきにょっき永代橋の冬木立ー(江戸川柳)

 現代の風景は、漁火が明滅する佃島にはリバシティ21の高層マンション群が立ち並び、それらが永代橋の背景を形づくっている。

 

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荷風の風景(その3) 夕陽(せきよう)の富士

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  JR中央総武線高円寺駅ホームからの眺望

―ここに夕陽(せきよう)の美と共にあわせて語るべきは市中より見る富士山の遠景である。夕日に対する西向きの街からは大抵富士山のみならずその麓に連(つらな)る箱根大山秩父の山脈までを望み得る。・・・(中略)
 関西の都会からは見たくも富士は見えない。ここにおいて江戸児(えどっこ)は水道の水と合わせて富士の眺望を東都の誇りとなした。・・・
(永井荷風「日和下駄十一 夕陽 附富士眺望」)

交通機関
JR中央総武線高円寺駅

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橋のある風景(その2) 海幸橋

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      海幸橋(平成13年8月6日撮影)

 ーある日曜日に、築地の料亭で昼間の会合があった。
 少し早めに家を出て、銀座で地下鉄を降り、がらんとした、人の気配もない、日曜日の魚河岸を抜けていくのは妙な気分である。
 平日の雑踏(ざっとう)とざわめきが嘘のように消え、まるで、廃墟(はいきょ)の中を歩んでいるような気分になる。
 東支川に架かる海幸橋で、近辺の人が釣り糸をたれていた。何が釣れるのだろう。左手に見えるのは波除(なみよけ)神社だ。・・・
(池波正太郎「東京の情景 日曜日の魚河岸」)
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  池波正太郎画「東京の情景 日曜日の魚河岸」

 海幸橋は、昭和2年に旧築地川東支川の隅田川河口部に架橋された鋼鉄橋である。大正12年の関東大震災で日本橋にあった魚河岸が全焼し、築地に移転したが、その時に魚河岸の入口に新しく架橋された橋である。魚河岸の繁栄と豊漁を願って海幸橋と名付けられたといわれている。築地川東支川は平成7年に埋立てられ、橋本体は同14年に撤去されたが、鋼鉄製の親柱2基と石造親柱2基はそのまま記念物として現地に保存されることになった。
 区内に残る貴重な文化財として親柱4基共に区民有形文化財に登録されている。

 現在では失われた風景となってしまった。

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東京タワーのある風景(その4) 皇居前広場

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 皇居前広場二重橋から内掘通り付近に出た辺りから見た東京タワーの風景である。

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  ミッシェル・ドラクロア作「美しい季節」

 一方ミッシェル・ドラクロア描く「美しい季節」はエッフェル塔のある風景である。

 ミッシェル・ドラクロアは1933年パリ生まれの画家。、「パリの街角」などを描く。
 アトランタ・オリンピック公認アーティストにもなり、又1998 フランスワールドカップサッカー公認アーティストに選ばれたフランスを代表する画家である。

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文学のある風景(その3) 太宰治「斜陽 五 ニコライ堂と聖橋」

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 あれは、十二年前の冬だった。

 「あなたは、更級(さらしな)日記の少女なのね。もう、何を言っても仕方が無い」
 そう言って、私から離れて行ったお友達。あのお友達に、あの時、私はレニンの本を読まないで返したのだ。
 「読んだ?」
 「ごめんね。読まなかったの」
 ニコライ堂の見える橋の上だった。
 「なぜ? どうして?」
 そのお友達は、私よりさらに一寸くらい背(せい)が高くて、語学がとてもよく出来て、赤いベレー帽がよく似合って、お顔もジョコンダみたいだという評判の、美しいひとだった。・・・中略

 私たちは、しばらく黙って、冬の川を見下(みおろ)していた。

 「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。バイロン」
と言い、それから、そのバイロンの詩句を原文で口早に誦(しょう)して、私のからだを軽く抱いた。
 私は恥ずかしく、
 「ごめんなさいね」
 と小声でわびて、お茶の水駅のほうに歩いて、振り向いてみると、そのお友達は、やはり橋の上に立ったまま、動かないで、じっと私を見つめていた。

(太宰治「斜陽 五)
 
 本編の主人公かず子がニコライ堂の見える聖橋の上でレニンの本を読まずに返し友人と別れた思い出のシーンである。

 かず子は、敗戦によって没落した華族の娘であり、小説家上原二郎と情熱的な恋をし、ローザルクセンブルグの「経済学入門」を奇妙な興奮を覚えながら読み、カウッキイの「社会革命」、レニン選集にも関心を持つ恋と革命に生きようとする女性である。

 「斜陽」は太宰治の代表作の1つで、太平洋戦争の敗戦によって没落した華族の物語である。
 昭和22年に発表されるや爆発的人気をはくし「斜陽族」という言葉さえ生み出した。

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