文学のある風景(その20) 西教寺

Img_20072

 本郷の追分を第一高等学校の木柵(もくさく)に沿うて東へ折れ、更に北へ曲る角が西教寺と云う寺である。(森鴎外「細木香以(さいきこうい)」)

 浄土真宗本願寺派涅槃山西教寺 は、寛永年間 (1624‐1644)  釈了賢が湯島三組町に建立し、元禄2年(1689)に現在の地に移った。
朱塗りの表門は、幕末の大老酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷から譲り受けて移築したものといわれている。
文京区向丘2-1-10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

橋のある風景(その5) 永代橋

Img_0295

 五年ぶりに、おもんは永代橋を渡った。暑い日射しが、橋にも欄干の外に広がる大川の水の上にも、白く光る照り返しをふり撒いていた。

 渡るのを禁じられた橋だった。そしてじっさいおもんは、若狭屋の嫁になってから、一度もこの橋を渡っていない、と気づいていた。過去のことは、橋のこちら側に置いていけ、と言った斧次郎の言葉のせいでもあったが、それだけおもんが若狭屋の人間になり切ろうと、懸命だったのだともいえた。
(藤沢周平「橋ものがたり 赤い夕日」)

 永代橋は、江戸時代の元禄11年(1698年)隅田川で四番目に架けられた橋である。
 
 忠臣蔵では、元禄15年(1702年)12月の赤穂浪士の吉良上野介屋敷の討ち入り後、上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学のある風景(その20) 佃島渡船跡の碑

Img_84452

 佃島渡しの跡や鳥曇(とりぐもり) 石川桂郎

 佃島渡船跡の碑が佃大橋の明石町側の袂に立っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 清水御門

Img_19432

 約宅の前は、江戸城の濠(ほり)にに面したひろい道で、役宅・正門の正面に{清水御門}が見える。江戸城・三十六門のうちの一つで、むかし徳川家康が江戸に入った折、このあたりにこんこんと清水が湧き出ていたため、この名が門につけられたとか。・・・・・(鬼平犯科帳8「あきれた奴」)

清水御門 (清水見附門)
清水門は、寛永元年(1624)備中国足守藩主浅野長晟により建てられた。
門の名前はこの辺に清水が湧出していた事によりつけられた。
昭和36年(1961)6月7日国指定重要文化財に指定される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学のある風景(その20) 更地

Img_88522

 隣の家が
 とりこわされて

 ぽっかり開いた

 家の間から

 青空が

 のんびりと

 顔を出す

 今まで在った家の

 なごりも跡も

 きえうせて

 更地はただの空間

 これこそ色即是空

 ということ

 なのでしょうか

  (薬師川 虹一「風 化」更地)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

橋のある風景(その5) 岩井橋

Img_01192

 岩井橋は、鶴屋南北の東海道四谷怪談に出てくる橋。
 夫の伊右衛門によって毒殺された妻お岩と小平が、戸板の表と裏に貼り付けられて雑司ヶ谷の神田川に架かる姿見橋(面影橋)から伊右衛門によっ流された。
 お岩と小平の死体は、姿見橋から神田川を通り、隅田川に流れていき、更に小名木川に入って横十間川へ流れ、岩井橋に流れついた。
 或日、伊右衛門が横十間川で釣りをしていると、上流から見覚えのある戸板が流れてきて、引き上げてみるとお岩と小平の死体がくくりつけられていた。
 岩井橋は、その話から名づけられたと言われている。

 岩井橋は、享保3年(1718)頃初架橋、東京都江東区扇橋3丁目北砂1丁目南砂1丁目にまたがる横十間川に架かる橋。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学のある風景(その19) 重盛永信堂

Img_03482

 お江戸の昔から、人形町は水天宮の門前町として栄えた土地柄である。お詣りの帰りには水天宮みやげで名を売ったゼイタク煎餅「重盛永信堂」へ立ち寄るのが順というものだろう。
 間口の広い角店だが、店構えはみやげもの屋に徹した気取りのなさである。(向田邦子「人形町に江戸の名残を訪ねて」)

 重盛永信堂は、東京都中央区日本橋人形町2丁目1−1にある人形焼 · ゼイタク煎餅で有名な菓子店。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 十方寺

Img_35552

 現場からも、さして遠くない肴町(さかなまち)の十方寺(じっぽうじ)という寺院の和尚を、平蔵はよく知っている。
 この寺へ、平蔵はお園を担(かつ)ぎ込んだ。
 平蔵は和尚に、
 「通りががって、この女の危急を救(すく)いましてな」
とのみ語り、息を吹き返したお園も、なにしろ十方寺の内にいるのだから、すべて納得(なっとく)をしたようだ。(鬼平犯科帳23「隠し子」)

 浄土宗十方寺は、覚蓮社圓誉霊門上人(寛永19年寂)が、源空寺退隠後に天和元年(1681)根津に創建、その後当地へ移転したとされている。
 東京都文京区向丘2-29-1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学のある風景(その19) 地下鉄南阿佐ヶ谷付近

Img_82582

ボウリング場は店じまいしたが

その下の本屋には書物があふれている

区役所のすじむかい郵便局のならび

新築中の警察署は九階建ての地下二階とか

この町に四十年あまり暮らして

行きつけの店といえば床屋くらいのものか

(谷川俊太郎「地下鉄南阿佐ヶ谷付近1974秋」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

橋のある風景(その5) 江戸川橋

Img_43552

 廿日正月(はつかしょうがつ)という其の日も暮れて、宵闇(よいやみ)の空に弱い星のひかりが二つ三つただよっていた。今夜も例のごとく寒い風が吹き出して、音羽の大通りに渦巻く砂をころがしていた。
  「寒い、寒い。この正月は悪く吹きゃあがるな。ほんとうに人泣かせだ」
 この北風にさからって江戸川橋の方角から、押し合うように身を摺り付けて歩いて来たのは、二人の中間(ちゅうげん)である。どちらも少しく酔っているらしく、その足もとが定まらなかった。(半七捕物帳六「白蝶怪 三」)

江戸川橋は、神田川に架かる橋、目白通りが通る。東京都文京区関口一丁目にある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«文学のある風景(その19) お祭り