橋のある風景(その5) 天現寺橋

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 渋谷川の北岸に、天現寺(てんげんじ)という禅刹(ぜんさつ)がある。この寺の名は現代も港区に「天現寺橋」という名で残っている。(鬼平犯科帳22「女密偵女賊」)

 天現寺橋(てんげんじばし)とは東京都渋谷区広尾5丁目の笄川(こうがいがわ)および渋谷川にかかる橋である。

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文学のある風景(その20) 鶴の噴水

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     日比谷公園雲形池の鶴の噴水

 鶴は飛ぼうとした瞬間、

 こみ上げてくる水の珠に、

 喉をつらぬかれてしまった。

 以来仰向いたまま、

 なんのためにかうなつたのだ?

 と考へてゐる。

            (丸山薫 噴水)

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 牛天神

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 正面は、いわゆる牛天神(うしてんじん)の門前町であった。「牛天神」は北野天神ともいい、別当は龍門寺(りゅうもんじ)で、むかし法条氏康(うじやす)がこの地に菅公(かんこう)を祀(まつ)ったのがその由来であるそうな。のちになって加賀百万石の太守・前田侯が社(やしろ)を再興したもので、そのときに植えた白梅がいまも残っていて、長谷川平蔵もいつであったか、この牛天神の梅を見に来たことがある。(鬼平犯科帳5「女賊」)

 牛天神は、文京区春日1-5-2に所在。

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文学のある風景(その20) 公園の銀杏は手品師老いたピエロ

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   雲が流れる 公園の
  
 銀杏は手品師 老いたピエロ

 口上(こうじょ)は 言わないけれど

 馴れた手付で

ラララン ラララン ラララン カードをまくよ

 秋が逝くんだ 冬が来る

 銀杏は手品師 老いたピエロ

(「公園の手品師」 作詞 宮川 哲夫  作曲 吉田  正  歌 フランク永井) 

「公園の手品師」は、当初フランク永井がデビューした年(1955年)の日活映画「男性NO.1」で鶴田浩二が歌ったもの。

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橋のある風景(その5) 将監橋

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 結局、弥吉は金杉川沿いの道を、江戸湾の河口近くまで下って来て、将監橋(しょうげんばし)を北へわたった。(鬼平犯科帳21「男の隠れ家)

 将監橋は、芝大門二丁目13番先から芝二丁目1番先に至る古川に架かる橋(現在の橋は昭和43年7月竣工)。
金森将監の屋敷があったので呼び名となったといわれている。

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文学のある風景(その20) みずうみ

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僕の目は みずうみ


水が一杯にたまっている


だから理由もなしに


かりそめのきっかけに


水はせきをきって涙となる

ああ どうして


こんなに水があるのだろう


いつかはかれるか

(iwanみずうみ)

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荷風の風景(その5) 崎川橋

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 崎川橋(さきかわばし)という新しいセメント造りの橋をわたった時、わたくしは向うに見える同じような橋を背景にして、炭のように黒くなった枯樹(かれき)が二本、少しばかり蘆(あし)のはえた水際から天を突くばかり聲え立っているのを見た。震災に焼かれた銀杏か松の古木であろう。わたくしはこの巨大なる枯樹のあるがために、単調なる運河の眺望が忽ち活気を帯び、彼方の空にかすむ工場の建物を背景にして、ここに暗欝なる新しい時代の画図をつくり成している事を感じた。(永井荷風「深川の散歩」)

 崎川橋は東京都江東区内を流れる大横川と仙台堀川の交差地点近くの仙台掘川に架かる橋である。近くに木場公園がある。
平野四丁目~木場四丁目間仙台堀川
 昭和4年(1929)震災復興橋梁として架橋され昭和49年(1974)現在の橋に架け替えられた。 

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その3) 浅草通り仏具店街

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           浅草仏壇通り

 六間町の北面の表通りは上野山下から浅草へ通ずる大通りで、両側には大小の寺院がびっしりと立ちならび、仏具屋が軒をならべている。その裏通りに数珠をつくる職人が住んでいることは、まことに当然といわなくてはなるまい。(鬼平犯科帳8「あきれた奴」)

 東京メトロ銀座線浅草駅から上野駅へ続く浅草通り、その通りの田原町駅から上野駅までが通称、『浅草仏壇通り』と呼ばれる問屋街の通りである。
 浅草仏壇通りの歴史は古く、江戸時代までさかのぼる。
 明暦の大火の後、寺院仏閣が幕府により上野から浅草にかけて集められたため、これら寺社に対して仏具などを製造し納める職人が上野から浅草にかけてたくさん集まり、店を構えた。

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文学のある風景(その20) 西教寺

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 本郷の追分を第一高等学校の木柵(もくさく)に沿うて東へ折れ、更に北へ曲る角が西教寺と云う寺である。(森鴎外「細木香以(さいきこうい)」)

 浄土真宗本願寺派涅槃山西教寺 は、寛永年間 (1624‐1644)  釈了賢が湯島三組町に建立し、元禄2年(1689)に現在の地に移った。
朱塗りの表門は、幕末の大老酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷から譲り受けて移築したものといわれている。
文京区向丘2-1-10

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橋のある風景(その5) 永代橋

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 五年ぶりに、おもんは永代橋を渡った。暑い日射しが、橋にも欄干の外に広がる大川の水の上にも、白く光る照り返しをふり撒いていた。

 渡るのを禁じられた橋だった。そしてじっさいおもんは、若狭屋の嫁になってから、一度もこの橋を渡っていない、と気づいていた。過去のことは、橋のこちら側に置いていけ、と言った斧次郎の言葉のせいでもあったが、それだけおもんが若狭屋の人間になり切ろうと、懸命だったのだともいえた。
(藤沢周平「橋ものがたり 赤い夕日」)

 永代橋は、江戸時代の元禄11年(1698年)隅田川で四番目に架けられた橋である。
 
 忠臣蔵では、元禄15年(1702年)12月の赤穂浪士の吉良上野介屋敷の討ち入り後、上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったという。

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