文学のある風景(その22) あみだくじ

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 そのころ私は時々
 知らない町の路地へ
 入って行くことがあった
 迷子になりたかった
 歩いても歩いても出口がなく
 歩いても歩いても退屈しない
 そんな人の匂いのする路地を
 あみだくじのように歩いた
 そう あみだくじ
 どこかにあたりの出口があって
 ヒヨイと
 飛べそうな気がしてたのだ

   (阿久悠「あみだくじ」)

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文学のある風景(その22) 芋坂 羽二重団子

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 「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱(くつぬぎ)へ下りる。 吾輩は又少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、又尾行する勇気もないからずっと略してその間休養せんければならん。(夏目漱石「我輩は猫である」)

 羽二重団子は安政2年(1855)創業。店の外には子規の句碑も立ち店の角には王子街道を示す石柱もある。

 芋坂も団子も月のゆかりかな (正岡子規)

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文学のある風景(その22)どんど橋(船河原橋)(半七捕物帖)

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 もう一度、越前屋へ行って、亭主の為さんに逢って、くわしいことを詮議して来ようと思っているところへ、飛んでもない噂がここらまで伝わってお徳をおどろかした。藤吉の死骸が江戸川のどんど橋の下に浮かんでいたというのである。自分が追い立てるようにして越前屋へ出してやった亭主の藤吉が、どうして再び江戸川の方角へ迷って行って、そこに身を沈めるようになったのか。ゆうべ死んだというのは、為さんでなくて藤吉であったのか。ゆうべ帰って来たのは幽霊か。なにが何やら、お徳にはちっとも判らなくなってしまった。(半七捕物帳四(むらさき鯉三」)

 どんど橋(船河原橋)は、旧「江戸川」「神田川」架かる橋である。
江戸時代、船河原橋のすぐ下には堰があり、常に水が流れ落ちる水音がしていたことから、別名「どんど橋」「船河原のどんどん」などと呼ばれていたという。

 所在地千代田区飯田橋三丁目~新宿区宮比町

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その4) 霊巌寺

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 二人が、佐吉と軍兵衛の後をつけ、霊巌(れいがん)寺の方へ向うのを見届けてから、平蔵は踵(きびす)をめぐらした。(鬼平犯科帳12「二人女房」)

 浄土宗寺院の道本山東海院霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌雄誉上人が隅田川河口を埋め立てて霊巌島を築いた時の草創。明暦の大火(1657)後に現在地へ移転した。陸奥国白河藩松平定信の墓所があり、白河の地名が名づけられている。
東京都江東区白河1-3-32

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文学のある風景(その22) 青銅の屋根

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        聖橋から見たニコライ堂

 前方のビルのあひだに暑き日をしづかにまとふ青銅の屋根
  (長澤一作(ながさわいっさく))

青銅の屋根はニコライ堂の屋根。
ニコライ堂は,東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂.。
日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来する。
1891年に竣工。

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文学のある風景(その22)雑司ヶ谷鬼子母神(半七捕物帖)

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「だが、まあいいや、久し振りでこっちへ登って来たから、鬼子母神(きしぼじん)様へ御参詣をして、茗荷屋(みょうがや)で昼飯でも食おうじゃねえか」
 二人は田圃(たんぼ)路を行きぬけて、鬼子母神前の長い往来へ出ると、ここらの気分を象徴するような大きい欅(けやき)の木肌が、あかるい春の日に光っていた。天保以来、参詣の足が少しゆるんだとはいいながら、秋の会式(えしき)についで、春の桜時はここもさすがに賑わって、団子茶屋に団扇(うちわ)の音が忙がしかった。(岡本綺堂 半七捕物帳「帯取りの池二」)

鬼子母神堂は、永禄4年(1561)山村丹右衛門が清土(文京区目白台:現清土鬼子母神堂)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった当地に村民が天正6年(1576)堂宇を建立。入谷鬼子母神真源寺、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めている。
所 在 豊島区雑司が谷3-15-20

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文学のある風景(その22) プラットホーム

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その静かな山の手の駅で

私は気楽であったもとの生活を思い出しました

ホームには買物らしい奥さんや

本を抱いたハイカラなお嬢さんが見えました

みんな落着いて電車を待っていました・・・・

(佐多稲子「プラットホーム」)

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池波正太郎の風景(鬼平犯科帳)(その4) 白山権現

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小石川の白山権現(はくさんごんげん)の裏門前に{ふじや}という小さな茶店がある。
傘山の弥太郎は、この{ふじや}の主人(あるじ)として暮らしていて、米六(よねろく)・おとよという老人夫婦が店ではたらいている。あまり繁盛もしていない茶店だ。
(鬼平犯科帳7「盗賊婚礼」)

白山神社(はくさんじんじゃ)は、東京都文京区にある神社。旧称白山権現社。
東京都文京区白山5丁目31-26

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文学のある風景(その21) 谷川俊太郎 みち

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きたこともないこのあたり

だれかがちらとふりむいた

きたこともないこのあたり

うたをすいこむひろいそら


    (谷川俊太郎 みち)

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文学のある風景(その21)堀の内の御祖師様(妙法寺)(半七捕物帖)

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 赤坂裏伝馬町(うらてんまちょう)の常磐津の女師匠文字春が堀の内の御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついたのは、弘化四年六月なかばの夕方であった。赤坂から堀の内へ通うには別に近道がないでもなかったが、女一人であるからなるべく繁華な本街道を選んだのと、真夏の暑い日ざかりを信楽(しがらき)の店で少し休んでいたのとで、女の足でようよう江戸へはいったのは、もう夕六ツ半(七時)をすぎた頃で、さすがに長いこの頃の日もすっかり暮れ切ってしまった。
 甲州街道の砂を浴びて、気味のわるい襟元の汗をふきながら、文字春は四谷の大通りをまっすぐに急いでくる途中で、彼女は自分のあとに付いてくる十六七の娘を見かえった。(岡本綺堂 半七捕物帳「津の国屋一」)

 妙法寺(みょうほうじ)は、東京都杉並区堀ノ内にある、日蓮宗の本山
 所在地 東京都杉並区堀ノ内3-48-8

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