清親・安治のある風景(その4) 安治 東京百景 上野公園地
上野公園東京国立博物館付近
上野公園は、江戸時代、三代将軍・徳川家光により創建された東叡山寛永寺の寺領であった。、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争で寛永寺に立て籠もった旧幕府軍の彰義隊と新政府軍との戦いのため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。その後、東京国立博物館、西洋美術館、東京芸術大学などが建設され日本の芸術の中心的公園となった。
安治東京百景上野公園地
井上安治の「上野公園地」の絵は、両大師の「金札」が絵がかれれていることから現東京国立博物館やその隣にある両大師のあたりの風景を描いたものと思われる。
現在の風景は、右が科学博物館、左が東京国立博物館と両大師。
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