清親・安治のある風景(その4) 安治 東京百景 上野公園地

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       上野公園東京国立博物館付近

 
 上野公園は、江戸時代、三代将軍・徳川家光により創建された東叡山寛永寺の寺領であった。、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争で寛永寺に立て籠もった旧幕府軍の彰義隊と新政府軍との戦いのため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。その後、東京国立博物館、西洋美術館、東京芸術大学などが建設され日本の芸術の中心的公園となった。

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       安治東京百景上野公園地 
 

 井上安治の「上野公園地」の絵は、両大師の「金札」が絵がかれれていることから現東京国立博物館やその隣にある両大師のあたりの風景を描いたものと思われる。
 

 現在の風景は、右が科学博物館、左が東京国立博物館と両大師。
 

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荷風の風景(その5) 宗円寺門前の「石の布袋」

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          宗円寺の石の布袋 
 
 昭和二十三年一月初九。晴。暖。午下省線にて浅草駅に至り三ノ輪行電車にて菊屋橋より公園に入る。羅災後三年今日初めて東京の地を踏むなり。菊屋橋角宗円寺門前の石の布袋恙(つつがな)くして在り。(永井荷風断腸亭日乗)

 布袋像は現在宗円寺境内左端の入口近くの塀際にある。

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              宗円寺

 浄土宗宗円寺は、透雲山と号し、透雲大和尚が、慶長16年(1611)3月当地に創建。浅草通りと新堀通りが交わる菊屋橋交差点付近新堀通り沿いにある(東京都台東区寿2丁目7番9号)。

 浅草通りを挟んだ新堀通り沿いにはかっぱ橋道具街がある。

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面白風景(その2)  石神井池「池中モニュメント」

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  彫刻家三澤憲司作の大理石製彫刻(1984年)「池中モニュメント」。

  石神井池内にある。

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広重のある風景(その7) 名所江戸百景 湯島天神坂上の眺

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       湯島天神表鳥居前
 
  広重の名所江戸百景「湯島天神坂上の眺」は、本殿に向かって右手にある鳥居前の男坂とその左手の女坂上から眼下に不忍弁天を望むものである。池之端の町屋や不忍池に突き出した中之島の風景も描かれている。

 湯島天神の台地には、女性や子供が登る勾配の緩やかな女坂と、主として男性が登る勾配の急な男坂がある。

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 名所江戸百景 湯島天神坂上の眺

 湯島天神は、湯島台地の東端に建っている。

 このあたりの住民が南北朝時代(1336-1392)に京都北野天満宮の分霊を祀ったのがその始まりだとされる。

 和歌や連歌の神、芸能の神、書道の神、縁結びの神、学問の神として江戸庶民に親しまれていた。

 
 現在の風景は、湯島天神本殿正面に居あるの「表鳥居」前のあたりから上野方向を眺めた風景である。

 この表鳥居は、文京区教育委員会の説明によれば
 「表鳥居は銅製で寛文7年(1667)9月に創建され、下脚部に唐獅子頭部の装飾がある鳥居として特異なものである(都指定文化財)」とされている。

 

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文学のある風景(その6) 今井つる女 浅草寺初詣

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           浅草寺仲見世

 仲見世は後のたのしみ初詣   (今井つる女)

 

 
 
 

 

 

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文学のある風景(その6) 望田市郎 高円寺純情商店街

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 はや師走健気な純情商店街(望田市郎 東京ろまんちっ句)

 高円寺純情商店街はJR東日本中央線高円寺駅北口駅前にある。

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文学のある風景(その6) 山ロ青邨 銀杏散る

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          東大銀杏並木

 銀杏散る真ッ只中に法科あり (山ロ青邨)

 山ロ青邨(1892年-1988年)岩手県盛岡市出身。
 俳人、鉱山学者、東京大学名誉教授。工学博士。
 本名は山口 吉朗( きちろう)。

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面白風景(その2) 渋谷駅前モヤイ像

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 梅雨寒にモアイ黙して渋谷駅 (東京ろまんちっ句 望田市郎)

 JR山手線渋谷駅南口を出るとすぐのところに男女両面の大きな顔だけの像がでんと鎮座している。
 この像は、モヤイ像と云い昭和55年に新島の東京都移管100年を記念して新島から渋谷区へ贈られたもので、イースター島のモアイ像をヒントにして、新島特産の坑火石でつくられている。

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広重のある風景(その7) 名所江戸百景大伝馬町ごふく店

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    日本橋大伝馬町タキトミビル付近

 広重の「名所江戸百景大伝馬町ごふく店」は、大伝馬町屈指の大店、下むら大丸呉服店を背景に建物の上棟式を終えて帰る「棟梁送り」と呼ばれる行列を描いている。

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 名所江戸百景大伝馬町ごふく店

 このあたりは日光街道の旧道沿いであり、大伝馬町、小伝馬町界隈は、幕府の伝馬役をつとめた馬喰が多く住んでいたこともあり、古くから江戸と地方とを結ぶ、陸の流通ターミナルとして栄えてきた。

  そういった交通の利便性もあり、ここには、地方から入荷された反物を中心に扱う、問屋街が形成されていったのである

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清親・安治のある風景(その4) 安治「上野新坂」

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 新坂を下りて根岸の柳かな(子規)
 
 根岸に住む正岡子規は上野からの帰り道にはこの坂を下って行った。
 
 現在坂道の左側は、寛永寺霊園(旧徳川家墓地)右が台東区立忍ヶ丘中学などとなっている。

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       井上安治「上野新坂」

  井上安治の頃は、新坂の上からは、つくばの山が人家の屋根越しにぽっかりと見えた。

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